1921 | 大正10 | 1月5日 | 朝食をしてゐたら椿の妹が来て椿は脚気の工合で上京出来ない由、丸山とセザンヌの風景畫を見に上京。一寸つばきへよったらねてゐた。十時十二分の汽車に辛うじて乗る。新橋の二階で昼食、磯ヶ谷へ寄ったら先日見たゴッホが来てゐてこれから田中へ写真うつしにやるところとか、一平さんは今日午后細川氏へ来たセザンヌの自畫像の縁の事で細川邸へ行くといふ。結局一所に行ってみる事に約束し、丸山と二人で田中松太郎氏へ行きセザンヌを見る。ほんのかきかけだが、悪くない。打たれもしないが、しかし、もっと描いたものが欲しいには欲しい。丸山と別れて磯ヶ谷へ引き返す。一平さんはこの春洋行すると云ってゐた。オランダの古い縁買入をたのむ。イソガヤの店は幕を張って一平さんの子や石川伊十の子やの畫の展覧会してゐた。イソガヤらしい気持のいゝ事だ。一平さんと電車で江戸川迄行く途中文房同へ寄りポッツピーオイル二本買ふ。老松町の細川邸へ行きイソガヤのつれだと云ってセザンヌ見せてもらふ。やはり一度位しかぬってないかきかけのものだが、気持ちはいゝ。深い味はまだ出る処まで描いてない。しかし悪くはない。ボラールの本にある畫だ。結局細川に名を知らせない気でゐたが、知らせる事になりあらためてあいさつする。五時頃辞し、東京駅を六時十五分の汽車で帰る。 (後略) | 劉生日記 二 | p.8-9 |
| | 1月7日 | 八時過ぎ離床。家では七艸はかゆをたかないでいつも雑煮にしてゐる。(中略)今日イソガヤから暮に出した艸土社出品の荷がやっと到着した。(後略) | 劉生日記 二 | p.10-11 |
| | 1月9日 | 今日はいゝ天気である。風邪なので、朝食に一寸おきて床に入ってゐたら、犬養が伊集院といふ学習院の人をつれて来る。それでとこをあげて起きてしまった。ストーヴをたいて部屋をあたゝめてある。丸山は日曜なので一寸来る。 イソガヤからついた荷を開けてもらひ、麗子の自転車に油をさしてもらったら大へんなめらかになったとか。(後略) | 劉生日記 二 | p.12 |
| | 2月14日 | 九時頃離床。蓁、椿の三人で上京十時五十二分の汽車也。(中略)イソガヤに至り、素描自画像(原氏に贈るもの)うけとりイソガヤの一平さん洋行のために義捐の展覧会の事承知する。ガクブチなど催促し、新橋ステーションにて蓁とおち合い二階にて久しぶりにうまい夕食をする。(後略) | 摘録 劉生日記 | p.88-89 |
| | 3月3日 | 今日は麗子のひなまつりの日だが、お菓子などかひそびれて、只飾ってある丈け、それに今日は麗子は鎌倉の付属小学校へ入学させるための入学試験をうけに蓁と行く。(中略)イソガヤの若い者が畫を取りに来、牡丹渡す。しばらくして名古屋出品の畫が返ってきたので、椿の処へ行ってゐるイソガヤに家へ畫をとりに帰ってこらふ。(後略) | | |
| | 3月6日 | 七時二十分頃離床。(中略) 婦人たちはじき別れ、もう一度清宮とイソガヤの一平さんの洋行後援の各派名流という展覧会を見る。余と木村が出しているがうれていなかった。しかし他に十点以上うれていた。長原氏の唐土の人形をかいたものがちょっと面白かったぎり他はつまらない。和田三造などはあんまりつまらないのに驚いた。それから清宮ともう一度白樺の展覧会へ行く。(後略) | 摘録 劉生日記 | p.92-93 |
| | 3月10日 | 昨夜おそかったのでねむく、十時ごろ離床。頭悪くて仕事にも気がすゝまないし、今日は春らしい天気だから仕事休んで東京へ行き椿への祝ひものや、イソガヤへの用事やらをして来ようかと思ふ。先日のガクブチをあつらへて来るつもりだ。それから八号の先日あつらへたフチも催促して来るつもり。(中略)七時四十五分の汽車で帰る。 今日jはとうとう第一の用事である磯ヶ谷によれなかった。毎晩遅いので、はやく帰り度かったので、帰って入浴。 買ってきた娯楽世界を床の中で十二時過迄よんでゐてからねた。今日からうすい方のスエーターを一枚ぬいだ。 | 劉生日記 二 | p.73-74 |
| | 3月16日 | 頭わるく、一度おき様としたが又下に蓁の床がしいてあったのでその中で新聞を読んだり少しだらけてしまって、十時頃におきる。 (中略)今日はどうも頭もわるく仕事も出来そうもないので、一昨日田中松太郎君が、留守に来たといふので、その方の用やイソガヤへの用やをかねて、麗子つれて上京と決し、十二時二十一分の汽車で上京する。汽車でスシを麗子にかってやる。桜田本郷町の内田で麗子に新しく靴をとったが、ぢき金具がこわれたので、神田の靴屋でなほしてもらったら又とれてしまった。イソガヤにて、破れた水彩の修繕をたのみ、先日白鳳社で写したエックのフチの型を八号にあつらへ、フチのさい促などし、神田の田中氏を訪ねたらあいにく留守。(後略) | 劉生日記 二 | p.80-81 |
| | 4月7日 | 今日は上京する事にし、十時五十四分の汽車にのる。(中略) 三人で一緒に銀座に行き、少し散歩し、イソガヤに行ったがふちは出来ていなかった。清宮も額縁をあつらえる。(後略) | 摘録 劉生日記 | p.99 |
| | 4月28日 | 今日は蓁が同級会と髪ゆひその他のようで上京。余も、芝川に借金する用や唐紙を買ふ用やらで一緒に九時三分汽車に乗る。(中略)芝川と別れ、イソガヤへ寄り八号のシタンのフチをうけとり六時二十一分の汽車に新橋からのつたら蓁と一緒になる。(後略) | 劉生日記 二 | p.122-123 |
| | 5月15日 | 今日は麗子、信行女中のしもなどつれて、動物園を店に行くことになってゐる。(中略)八時四十分の汽車で帰ったら丸山と長野県の一志君が来て待ってゐて、結局今月末長野で展覧会と講演する事に定り、畫を四枚イソガヤに持たせてやる事になり一志は止まる。留守に新潮の中根君が来たとか。 | 劉生日記 二 | p.142-143 |
| | 5月17日 | 九時半離床。(中略) 丸山今日余の信州での展覧会の為に「早春一日」「京都スケッチ」「灯篭流し」その他水彩素描等十数点イソガヤに持って行ってくれる。 羊羹を買ってきてもらふ事頼む。(後略) | 劉生日記 二 | p.144-145 |
| | 6月25日 | 目がさめたら風と雨がひどくあれてゐたので今日は東京行きをどうしやうかと思ったが早くやってしまいたいのと(入沢氏は今日休むと三四日かけないから)忘れ物もあったりしたので少し位なら行く事にして下へおりたらいい案梅に風も雨おさまった。(中略) しかし今日はいつもより永く服などかいて一寸近藤氏のバックなどかき四時仕事をおへそれから磯ヶ谷に行き、額の事交渉し、出来てゐた六号のフチ二枚受けとって、新橋から四時四十五分の汽車で帰る。 (後略) | 劉生日記 二 | p.187-188 |
| | 10月3日 | 今日は上京する日。朝七時前椿が来て、上京したら頼むとて速達のハガキを持って来る。しばらく椿と話す。八時五十四分の汽車にて上京。今日は金の算だんをし、買ひものなどする用事なのだ。それと帝展に出品を磯ヶ谷にたのむので麗子洋装の図を持って行く。鵠沼の電車どうも千葉清先生によく似た人に会ったが知ってゐるのは少年時の事とて間違ってはと思って控へてゐた。イソガヤに行き畫を託し、原二氏のためと余の分のフチをあつらへすぐに芝川へ行く。(後略) | 劉生日記 二 | p.279-280 |
| | 10月29日 | 今日は生長する星の群れのための公演会に出演するので上京。朝の中講演の艸稿を造る。蓁は関東銀行へ金をとりに一足先に出て一時一分の汽車に藤沢で落ち合って乗る。新橋の二階で少しおそい昼食をとり、蓁と別れ、イソガヤへ行く。例の大阪の芸術院への出品の画を託そうとて也。ところが上田天昭という男が山師で売れた金をなかなかよこさぬとかので出品は止めることにして画はイソガヤへあずけ九時に東京駅に持ってきてもらうことにしたがとうとう持って来なかった。(後略) | 摘録 劉生日記 劉生日記 二 | p.141 p.304-305 |
| | 11月14日 | 今日は曇天、降らねばよいがと思ったが降らなかった。展覧会中天気にしたいものだ。十時三十九分の汽車で上京のつもりの処その前の汽車が二三十分おくれたのでそれにのれる。新橋の二階で昼食。昨夜上田天昭から電報で出品の催促が来たので断りにくゝとうとう出品する事にして、イソガヤに行き、いつぞや持って行って出品見合すことにしておいてあった、二階窓外の秋と、麗子裸像の水彩とを発送たのむ。(後略) | 劉生日記 二 | p.322-323 |
| | 12月1日 | 九時頃離床。畳屋が来て二階をやっていゐるので仕事にかかれず朝から横井と新しい土俵で角力とる。(中略) ○磯ヶ谷から畫とフチが朝の中届いてゐて、横井がだしてくれた。 | 劉生日記 二 | p.340-341 |
| | 12月19日 | 今日は富本君の展覧会や暮れの買い物に上京。 十時三十九分の汽車にのる。(中略)新橋の二階で昼食芝川氏に電話かけたが留守、それから磯ヶ谷へ行き二十号と二十五号の額ぶちあつらえる。そこで埴原女史に会う。(後略) | 摘録 劉生日記 | p.152 |